ツイッター見ててと昔話

スマホでぽちぽちと打っとるんですけど、マジで辛い。てか今ぽちぽちって言わないんじゃないかな〜。なんと言うのだろう。


ツイッター辞めよかな〜とか思ったりするんですよね。ただ交流のある方もいるし、辞めるまで至らない。

SNSなんて無くていい!って老人とかが言うことあるんですけど、ツイッターに関しては正直無くても生活には全く支障ないかな〜って思う。


最近思うのはみんな怒りすぎと、意識高いのを前面に出しすぎじゃない?って結構思う。

前者は僕も昔そういう時期あったけど(あったんかい)、あれってマジで自分の評価下げるだけだなーって。あと絡みにくい。


昔話をすると、僕の受験期とか割とそういう時期だった。偏差値とかめっちゃ気にしてたし。入った大学休学して、他の受けて落ちて、その大学辞めてって事があって、心身ともにマジしんどーの時期があったんですよ。

その時は向上心の塊で、塊すぎて柔軟性失って動けなくなって〜って感じです。 

そこで色々と思ったのは、努力は適切な時期、あるいはしないに越したことはないって事。

楽しいことしながら、いつのまにか身についているって事が一番いい。まあ死にものぐるいで身についたものも、とても価値はあるんだけど、失敗した時の落差は致死ものだと思う。

何かをしなきゃ!で一日過ごして結局しなかったら自己嫌悪。ストレス溜まってあまり眠れない。これはマジで悪循環。


とまあ昔話はこれぐらいにして、意識高いのは僕はめちゃくちゃ良いと思うんですよ。周りに左右されず、他人の評価も気にせず。でも周りに誇示し始めると、勝手に他人が頭の中に入ってきて、勝手に自分の中のハードルが上がる。これは誰にもいい影響を与えない。

てか何なら僕意識高いですし。多分ね。でも恥ずかしい事だと思っている感があるので、あんまりそう言う事言わない。でも今言ったからまあまあ恥ずかしい。


あとめちゃくちゃ文句言うじゃないですか。文句言うことに文句言う負の連鎖しますけど、基本的に何かの問題に関しては当事者と被害者で済む話だと思う。


ツイッター見てて思うのは、受け取る事が苦手な人は声を荒げる傾向にある(偏見)。

極論馬鹿クズボケって言われても、この人日本語言ってる〜って思えば何も傷つかないんですよ。マジ極論。


特に不倫問題でわあわあ言って謝罪してるけど、別に勝手にしろよと思うし、ガキの使いの黒人メイクも黒人は怒っていいけど、それ以外は黙ってろよって思うわけです。

ガキの使いの問題は言及はあんましたくないけど、なだぎ武さんと友近さんのビバリーヒルズのやつは白人差別にならないの?


これ不謹慎!傷つく人がいるだろう!

君たちが世の中ギスギスさせてるのであって、当事者が怒ればいいから。マジで何をそんな怒る必要があるん?

同感です!その通りです!

これも声のでかい少数派を、よりデカくするので不快アンド不快。

ネットで話題もせいぜい2万リツイートぐらいですよ。ほんのわずかな人間です。目にしている人はいるけど、大して何とも思っていない人がほとんど(だと思う()

大してなんとも思ってない人は結構うざったいと思いますよ。それに文句言っても火種だし、大して影響も与えられないから黙っている賢い人ですよ。


とまあスマホ打ちにくい。

まあ別に好きにやればいいと思いますけど、うざいなーって思うこともあります。基本的には無の感情でツイッターやってたり、単純にふざけたかったりでやってます。

5ちゃんとかの方がある意味さっぱりしてる。明確な悪意が見えるから。ツイッターは謎の正義があるから。

まあ皆さん肩の力抜きましょうよってことです。